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和牛の聖地の奇跡の物語

閉鎖育種とあつた蔓

但馬牛和牛の原点 99.9%

 
閉鎖育種という独自の改良を、1,400年以上貫いてきた但馬牛は、良質な肉牛として全国各地で育種改良が進められ、現在のブランド和牛の原点となりました。1939年(昭和14年)に小代区で誕生した「田尻号」は、全国99.9%の黒毛和種の先祖だと証明されました。

 

黒毛和牛の原点

黒毛和牛の99.9%は昭和14年に小代の貫田で生まれた『田尻号』の子孫だと証明されています

世界的にも有名な神戸ビーフや松坂牛。その素牛は但馬牛で、各地に巣立ち、それらのブランドビーフになっているのです。つまり但馬牛=神戸ビーフや松坂牛だったりするのです。
ここまで多くの影響を与えた『田尻号』は、まさに『和牛の原点』。日本中からその肉質の良さを評価された結果と言えます。小代が産んだ和牛界のスーパースターです!

 

閉鎖育成により守られてきた血統

平安時代の書物にも優れた資質を記されていた但馬牛は、閉鎖育種という独自の改良を1400年以上貫いてきました。
同じ谷筋の牛を交配し続けて、優れた特徴を代々受け継ぐ牛の系統「蔓牛(つるうし)」づくりが盛んになり、明治30年代には、日本初の牛籍台帳(牛の戸籍)が整備され、その後も他府県牛との交配を一切絶つ閉鎖育種を実施。
純血の血統を守り、純粋の但馬牛生産の仕組みを確立しています。

 

 
  
田尻松蔵さんと但馬牛
 

柔らかくて栄養豊富な野草や薬草を食べて、足腰の強い、健康で丈夫な牛に。

但馬では「弁当忘れても傘忘れるな」と昔からいわれるほど、雨の多い地区で、昼夜の寒暖差も大きいのが特徴。山々には豊富な水と、その恵みの野草や薬草も豊富にありました。夏の間は、その柔らかくて栄養豊富な野草や薬草を食べ、毎日険しい山を往き来することで、足腰の強い、健康で丈夫な牛となっていったのです。
また、雪の多い小代では冬の間は『まや』と言われる牛の寝床で飼われ、大切な家族の一員として愛情をたっぷりかけて育てられてきました。

  

 へき地の環境が 奇跡 を生んだ

 
外国種との交配を免れ、純粋種が残った熱田の牛。閉鎖育種という環境が生んだ奇跡のストーリー。熱田は日本中の和牛の聖地なのです。

名牛「田尻号」は、「あつた蔓」の中から生まれました。

小代の地でいい牛を探してはどこよりも優れた牛をつくることに専念していた『前田周助』さんのおかげでその優秀な血統が確立された但馬牛の元祖「小代牛」が、周助さんが亡くなってから30 年ほどたった明治時代後半に「周助蔓の純粋種が姿を消す」という危機を迎えます。
小柄な小代の牛を外国の牛のような体格の良いものに改良しようと外国種のオス牛と交配が進んでいき、これが大失敗。
元の素晴らしい但馬牛を取り戻そうと本格的な取り組みが始まる中、周助蔓の純粋種が、小代の山深い里に残っていることがわかったのです。
そこは、標高700m もある高地、他の村からも遠く離れた場所にあったために、雑種化を免れることができたのです。
 
これが閉鎖育種、まさに小代の地理的な特色が生んだ奇跡と言えるのです。
 
新しい但馬牛の血統は、その基礎となったメス牛の名前の「あつ」や、その奇跡の牛が暮らしていた「熱田村」にちなんで「あつた蔓」と名付けられました。
但馬牛といえば、「その血が入っていない牛はいない」とまで言われる名牛「田尻号」(オス)は、「あつた蔓」の中から生まれ、全国の黒毛和牛の改良に大きく貢献しました。
 
 

  
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